このページは、過去に制作したが、諸事情により未公開のまま放置していたものです。

2023年現在、すでに解体済みとなっている建物も多く、現状を伝えるものでは有りません

当時の状況(2016年頃)を伝えるものとして、参考になれば幸いです。

 

コメントも書きかけのまま、修正せずとしました。

色々と間違い、誤記など有ると思いますが、御勘弁を!

2023年8月7日記


台東区・出し桁分布・外観写真

資料整理の都合上、A~Eとその他の6地区に分けて写真整理を行いました。

 

同一地域として括るには違和感のある地域もありますが

整理途上で有ることをご理解いただければ幸いです。

 

プライバシーに配慮し、各写真は縮小版とし、建物所在については公表しない方針です。

今後、再撮影を行う予定ですが、解体済みのものは更新しません。

 

写真撮影時期:2015年4月1日から2016年3月31日(一部それ以前の物がある)

調査概要についてはこちらをご確認ください。

 

各項のコメントは原則論と捉えてください。

例えば「被災した」は「概ね被災した」など。

コメント内容は2次資料以降によるもので、正確性を欠いています。

 

今後、更なる分類など行う気はありますが、いつになるかは不明です。

平成28年7月4日記

台東区出桁分布
分布図概要(2016・4月時点グーグルマップに図示)

A地区:谷中・桜木付近

27棟を確認。

震災焼失、空襲焼失が少なかった地域で、江戸期の様式を引き継いでいるものが残っている。また、地域として震災を逃れた事などで、都市計画が進まず現在も道幅は狭い。山あり谷ありの地域で、寺や墓地の占める割合も大きく、他の地域よりも町人地としての繁栄に限界があったと思われる。そのせいか、先に挙げた被災が少なかったにも関わらず、出桁造りの建物が思ったより少ない。しかし震災前の建物が見れる地域として魅力的である。

クリック拡大して ←矢印キー→ で操作すると見やすいです。

B地区:根岸・下谷付近

26棟を確認。

 金杉通りを境に、根岸、下谷と別れる。金杉通りは日光へと向かう街道であったため、道路拡幅前には江戸期の出桁造りが立ち並んでいた。道路拡幅後も出桁造りは再建されたが、2015年時点では2~3軒を残すのみとなっている。

 根岸付近は震災焼失、空襲焼失が少なかった地域で、以前は明治ー大正期の建物が多く残っていた。

 下谷付近は、金杉通り周辺を除き震災焼失しており、現存する出桁造りの多くは震災以後のものである。金美館通り(金美館という映画館があった、1925年開業、1963年の航空写真では更地)は、震災後に整備された道路で、入谷駅への行き来に伴い商店街が栄えたようである(道の原型は震災前から有)。商店街であることから、出桁造りも豪勢なものがある。平成19年には、アーケードが撤去され建物がよく見えるようになり、景観が良くなったと感じている。

 

最近は、根岸をまち歩きするより、下谷をまち歩きしたほうが楽しめると思う。

C地区:三ノ輪・橋場付近

18棟

 三ノ輪、金杉通りの北側の地域で、3つの川の合流点だったから三ノ輪という説がある。まち並みとしては根岸・下谷の延長にある。

 橋場:ここも震災、空襲を逃れた地域。駅からは遠く、交通の便が悪く中々に行きにくい。隅田川沿いのかつての別荘地で、吉原、山谷など歴史的な場所もあるが、その名残はあまり感じられない。江戸期からの長い路地が未だ残り、歩く面白さがある。

D地区:北上野・東上野付近

39棟

あまり知られていないようだが、上野駅周辺も空襲焼失を逃れている。そのため震災後に建てられた出し桁造りが多く残っている。出し桁造りに興味ある人は、先ず上野駅周辺を散策してはいかがでしょうか。意外なところ出し桁が残っていて面白い。

E地区:小島・鳥越・浅草橋付近

47棟

最初に爆弾が落ちたのは現台東であるが、実はその後は空襲被害を逃れている。この地域には出桁だけでなく、銅板外壁や左官装飾の看板建築も現存している。近代の木造建築を見て歩くには、台東区で一番楽しめる地域

その他地域

9棟

散発的に出桁造りが存在している、戦後建てられたものもある。


※写真は全て筆者撮影